大和路桜探訪1 明日香路の桜をたずねる
 

明日香は古代何回も都が置かれたところで、律令政治の体制が整え始めた頃であり、皇族や氏族間の権力闘争などが繰り広げられた舞台でもある。今年は平城京遷都1300年にあたるので、付近一帯は各種のイベントも催され賑わいを見せることだろう。
桜も楽しみだが、かつて歴史や古文などの勉強したゆかりの地をめぐるのも楽しみ。団体旅行だから、自分勝手にあちこち回るわけにも行かないが、明日香は遺跡が山盛り。宿の近くの欽明、天武、持統、文武天皇陵、高松塚古墳、それに謎の石像物の鬼の雪隠、猿石や亀石などを、朝の散歩代わりに車で廻るつもりだったが、あいにくの雨で断念。本当なら1週間ほどこの地に泊まりこんで自分の足で廻りたいものだが……。
 
車窓から望む 平城京跡。遙かに復元された大極殿正殿等が見えた。平城京遷都1300年祭が始まり、今月27日から公開される。広い芝生にも多くの建物があったのだろう。   第12代 景行天皇陵。天理市にある全長130m、高さ23mの前方後円墳。車中から。
 
 始めに降り立ったのは、飛鳥岡寺。真言宗豊山派 東光山真珠院龍蓋寺。西国33番所 日本最初の厄除け霊場。   天智天皇が草壁皇子の岡の宮を、当時の仏教の指導者であった義淵僧正に賜って 663年に創建された。
 
本尊は如意輪観音像は高さ4.58mの日本最大最古の塑像。弘法大師が印、中、日三国の土で作ったという。重文。
国宝の 義淵僧正坐像、重文の木造仏涅槃像などを有する
  義淵は天智天皇が岡宮で草壁皇子と一緒に育てたとも伝わる。法相宗を確立した僧で、門下に奈良時代に高僧となった行基、良弁、玄昉、道鏡らがいた。
 
 昔、村に暴れまわる龍が住んでいて里人が困っていたら義淵僧正が法力で龍を池に封じ込めて蓋をしたという池。   三重塔は、昭和61年に弘法大師記念事業として、510年ぶりに再興されたもの。
 
 名物は「シャクナゲ満開花の寺」4月中旬から5月中旬はシャクナゲ、サツキが、秋は紅葉が美しいそうだ。    高台の三重塔の処から見下ろすと、明日香の村里や甘樫丘、その先に耳成山? などの山々が幾重に取り巻く。
 
岡寺から車で10分足らずで、 確か中学の歴史教科書でみたあの石舞台古墳に向かった。一般は250円の「入場料」が必要だ。    飛鳥時代、敏達、用明、崇峻、推古天皇の4代に仕え、権勢を振るい、蘇我氏の全盛時代を築いた蘇我馬子の邸宅址とのことから蘇我馬子の墓といわれている。
 
 上円下方墳で、巨石を積み上げた横穴式石室は日本最大級。もとはこの巨石群をおおう封土があった。    玄室は奧行7.5m、巾3.3m、高さ4.8mもあり、中に立つと押しつぶされるような感じがする。
 
 観光客だか見学者かわからぬが、入れ替わり立ち替わり人々が押し寄せる。馬子死して観光資源を残す。    古墳の周りには濠があったのだろう。季節によって菜の花やれんげ、紅花が古墳を取り巻いて飾るという。
 
 飛鳥寺(安居院)。5888年蘇我馬子が発願し推古天皇4年(596)に創建された日本最初の寺。    飛鳥大仏。本尊の釈迦如来坐像は推古天応が聖徳太子や馬子らと発願し、609年仏師鞍作鳥によって造られた日本最古の仏像。高さ3mの銅像。
 
 創建当時の飛鳥寺は、今の寺の東に広がって、塔を中心に東西と北に金堂を配し、その外側に回廊を巡らし、講堂やいくつもの建物を備えた壮大な伽藍であった。    三諸の神奈備山に、五百枝さし繁に生いたる栂の木のいや継ぎ継ぎに……明日香の 古き都は山高み 川とほしろし …… 明日香川川淀さらず立つ霧の思ひ過ぐべき恋にあらなくに  山部赤人
 
飛鳥寺の西門を出ると「 入鹿の首塚」がある。権勢を振るっていた馬子の孫の入鹿は、中大兄皇子(後の天智天皇)・中臣鎌足らの乙巳の変で、飛鳥板蓋宮で暗殺された。その首が600m離れたこの地に飛んできた。凡人は素直に驚嘆。    飛鳥寺の南方。「大化の改新」の舞台となった飛鳥板蓋宮遺跡が、天武天皇と持統天皇の2代が営んだ飛鳥浄御原宮遺跡の下層に広がっている由。教科書にあった浄御原律令もここで編纂されたわけだ。
 
 「水落遺跡」飛鳥寺から甘樫丘へ行く途中に、斉明6年(660)、中大兄皇子がはじめて造った漏刻(水時計)遺跡。ちょっとのぞいた。その6月10日を時の記念日とした。    発掘調査で、貼石のある四角い土壇に4間四方の楼状建物があったこと、黒漆塗りの木箱、木樋暗渠、枡、銅管などが発掘された。
 
甘樫丘の著莪(しゃが)。甘樫丘は飛鳥寺の西約400mにある小高い丘で標高148m、南北に1kmの丘。東麓に蘇我蝦夷入鹿の親子の邸宅跡や万葉植物花壇などがある。    甘樫丘万葉歌碑              
采女の袖吹きかへす明日香風(みやこ)を遠みいたづらに吹く   志貴皇子
 
 甘樫丘から三山の中では最も高い畝傍山(198.8m)を望む
 玉たすき畝傍の山の橿原の ひじりの御代ゆ生れましし神のことごと栂の木の……   柿本人麻呂
  甘樫丘から大和三山の一、耳成山(139m)を望む。
 耳成の池し恨めし我妹子が、来つつ潜(かづ)かば、水は涸れなむ  詠み人知らず
 
 甘樫丘から天香具山(152.4m)を望む。
 春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山
  持統天皇もここから眺めたのだろうか。
   飛鳥川。甘樫丘の東山麓から吉野へと流れる。
明日香川しがらみ渡し塞かませば流るる水ものどにかあらまし  柿本人麻呂
 
橿原神宮表神橋と大鳥居。初代天皇とされている神武天皇を祀るため、神武天皇の宮があったとされるこの地に、明治になって創建された。奥には神武天皇陵もあるそうだ。    橿原神宮一般参拝の社殿。祭神は神武天皇とその后。畝傍山の周りには綏靖、安寧、懿德天皇と、4代までの陵が散在している。小学生の時暗記した「御歴代」のいくつかがこの地にあるのも信じがたい気もする。
 
夕食まで時間があったので 剣池(石川池)まで行く。応神天皇11年にこの池を造ったと日本書紀にあるそうだが、灌漑用水として造成された。向こうの木立は孝元天皇陵。    孝元天皇陵。欠史八代の1人で、一般的には実在しない天皇と見られるが実在したとの説もある。柵前まで行けるようだったが、おそくなってきて断念。
     
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