松尾芭蕉が奥の細道を辿った道筋を見ていたら、直ぐ近くの栃木市に立ち寄っていたことを初めて知った。芭蕉がわざわざ立ち寄ったという「室の八嶋」とはどういうところかと思って、出かけてみた。そして、ついでに近くの山野草園に立ち寄り、その先の鹿沼市の古峰神社まで足を伸ばした。

 室の八嶋 

「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。……
 行く春や鳥啼魚の目は涙

元禄2年(1689)3月27日、松尾芭蕉は、「奥の細道」の旅に出立した。千住、草加、粕壁(宿泊)、栗橋、古河、間々田(宿泊)、小山などと、日光街道を北上し、小山から街道を外れて「室の八嶋」に立ち寄ったのが、3月29日。ここまで2泊で辿り着いたとは、随分健脚だった45歳の芭蕉。
芭蕉は古河を通ったが、なにも触れていない。芭蕉の関心事は、旧蹟、名勝だった。
奥の細道で、芭蕉が最初に訪れたのが名勝「室の八嶋」といわれる大神(おおみわ)神社。
栃木市惣社町の下野国府址に程近い農村地域に、鬱蒼とした木立に囲まれていた。

「室の八嶋に詣す。同行曽良は曰『此神は木の花さくや姫の神と申して富士一躰也……』
ここは「けぶり立つ室の八嶋」と呼ばれて、平安時代以来、東国の歌枕として都まで聞こえた名所で、多くの歌人が歌に詠んでいる。
貝原益軒『日光名勝記』に次のように記されている。
「其社の前に室のやしま有。小嶋のごとくなrもの八あり。其まハりひきくして池のごとし。嶋の大さいづれも方二間程あり。其嶋に杉少々生たり。室の八嶋古哥に多くよめる名所也。」

益軒が訪れたのは、本を出した正徳4年より前であるが、この描写は、今日でもあまり変わることがないようだ。益軒が見た時は水がなかったそうだが、今は水を湛えている。
「室の八嶋」の八つの小島には、筑波神社、天満宮、鹿島神社、雷電神社、浅間神社、熊野神社、二荒神社、香取神社の小さな祠が祀られている。島から島へ渡りながら、それぞれに参拝できるというわけだ。

大神神社は崇神天皇の皇子豊城入彦命が東国平定の際に創建。

のちに下野国府が当地に置かれると、国司が有名な神々を奉齋して惣社とした、と説明されていた。

室の八嶋の続き

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