上杉氏の米沢と西吾妻の秘湯を訪ねる

今年は一段と蒸し暑い日が続いて、ほとほとうんざり。
高い山の涼しい風にでも吹かれてみたいと、秘湯巡りの小さな旅に行ってきまし
た。天気予報がくるくると変わって、晴れがいつの間にか雨になってしまいました
が、実際は雨だけは降らないでくれましたが、山並みの眺望は全く見えず。
訪ねたのは、西吾妻中腹の新高湯温泉。ここは山の中の一軒やの温泉、文字通
りの秘湯だと思いました。



旅程
8月22日(火 )
  
貸し自転車で
 米沢駅――上杉神社―― 上杉家廟所――春日山林泉寺――米沢駅
バスで
米沢駅――天元台高原湯本駅―(宿の送迎)―宿
 
◎宿
新高湯温泉 「吾妻屋旅館」 日本秘湯の会加盟旅館
  米沢市大字関字湯の入沢

8月23日(水)
宿 ――湯本駅― ロープウェイ― 天元台 リフト ロープウェイ
―湯本駅――米沢駅
◎経費
  宿泊費:22,140 
  交通費:28,020(JR=23,880 バス=3,140  自転車=1,000)
  見学料: 5,400 (上杉家御廟所=400 林泉寺=200 リフト=2,880
             ロープウェイ=1,920)
  雑 費: 6,000 (昼食=4,525 ロッカー=600など)
  合計61,560円 




 米沢駅


  江戸時代は上杉15万石の城下町。
  今は人口9万3千人の米沢市の表玄関。
  広くてすっきりしているが、なんだかさっぱりしすぎ? いえ、これが理想なんでしょう

  駅前に土産物屋が1軒だけ。

  JRのレンタサイクルで市内散策


 最上川


  駅から続く大通りを横切って最上川が流れる。

  威圧される高い建物もない、街並みも空き地を挟んで実にすっきり、さっぱり。或いはさびしい米沢。

 
 米沢城址


  本丸城址は松岬公園となって、堀を残すばかり。
  公園には上杉神社が置かれている。


 上杉謙信像


  公園に足を踏み込むと、「上杉藩祖」の上杉謙信が見下ろしている。

  謙信の没後、2代景勝は越後から会津若松に、そこから米沢と移封される。

  等身大ではないでしょうね。


 伊達政宗生誕の地



  独眼竜政宗が? と思ったら、伊達氏は政宗まで9 代、米沢を領しており、秀吉により仙台に移封されるま で米沢城にいたんだそうで。

  こんな石のあるところで? それは冗談だが、考えが足らないではないの。


 上杉鷹山像



  10代藩主治憲。、自ら一汁一菜など倹約に努め 産業の振興、学問の奨励などにつとめ、米沢の基  礎を築いた名君、中興の祖ともいわれる。

  観光資料は9代、10代と混在しているが、本当はどっちなの?上杉氏10代、米沢藩主9代。藩祖謙信を含めるのか含めないのかで違ってくる。
 


 上杉鷹山公詠


  この歌が鷹山の歌だと初めて知った。

  多額の借財で藩財政が破綻して、版籍返上というところまで落ち込んだ処へ17歳で藩主として迎えられた鷹山の意気込み、覚悟だったのだろう。


 上杉神社

  上杉謙信を祀る。

  明治になってから、佛様から神様に昇格か格下げかどっちか。


 松岬神社

  祭神は初代藩主景勝、10代中興の名君上杉鷹山。

  他に重臣直江兼続、鷹山の師細井平州、功臣竹俣 当綱、莅戸善政の6柱。


 上杉鷹山公之像

  松岬神社に座っている鷹山。

  穏やかな顔つきで、対面しているようなこの像が 鷹山らしいのかも知れない。


 上杉記念館


  国有形文化財登録建造物

  明治29年米沢城二の丸跡に上杉家14代茂憲伯爵邸として建てられた敷地約5,000坪、建坪530坪という壮大な大邸宅。

  現在の建物は大正14年に再建。


 庭園越しの上杉記念館


  庭園は東京浜離宮に倣って造られたそうだ。

  建物は銅板葦き、総ヒノキの入母屋づくり。設計 者は宮本百合子の父中條精一郎。


 献膳料理


  上杉伝統の郷土料理。
  献膳料理「雪の膳」2100円

  いも煮 おかひじきの芥子醤油 、鯉のことこと煮 牛 乳寒天、わらびのお浸し、くるみ寒天 、うこぎ御飯 、うこぎの切り和え、山菜汁

  大広間で庭園を見ながら食べたが。


 上杉家御廟所


  国指定史跡「米沢藩主上杉家墓所」

  樹齢400年余の杉木立に囲まれ、初代から12代までの藩主の墓が並んでいる。

  所在地は米沢市御廟1丁目

 
 謙信と景勝墓所


  墓所の中央奥にに謙信、その左に2代景勝。その後右左交互に振り分けて建てられている。

  参詣、見学の人の姿も見られず、静かなところに、説明のテープだけが流れていた。


 上杉謙信の墓


  越後で亡くなり春日山城に葬られたが、その後会津若松に、更に米沢城にと移封に伴って改葬されたのだそうです。

  亡くなったあともあちこちと、大変なことでした。


 御廟を左から見る

  2代から8代までは、入母屋造りだが、のちに寄せ棟の「宝形造り」に変わる。

  財政上の問題からのようだが。

  左に見える宝形造りは鷹山の廟屋。


  


 御廟を右から見る


  広さは2ha、東西109m、南北181mもあるそうです。

  香華料は200円。見物料ではないんです。

  かってはもっと杉木立が茂っていてたそうですが、それらの巨木は戦時の木造船、新制中学建設などで伐採され、「昔の面影はなくなった」と参拝のしおりに記されています。


 旧米沢高等工業学校本館


  通りがかりに、この町には似つかわしくない建物が眼にはいった。
  ここは明治43年に英国人によって建てられたルネッサンス様式の校舎だそうです。


  国指定重要文化財。

 春日山林泉寺


  越後の春日山城の麓にあったが、2代景勝の時、米沢に移された上杉家の菩提寺。

  ここには上杉氏の奥方、子供、上杉家の重臣の墓が沢山並んでいた。

  殿様はみんな廟所、奥さんはみんなここ。


 甲州夫人菊姫の墓


  菊姫は武田信玄の4女。

  信玄の没後、武田勝頼は景勝と和を結び、妹菊姫を景勝の正室として、春日山城に嫁がせた。

  「歌舞伎本朝二十四孝の八重垣姫のモデルと称される」そうです。


 武田信清之墓

  県指定文化財

  武田信玄の6男信清。武田氏滅亡のあと、姉菊姫の夫景勝を頼って来る。

  景勝は高家筆頭として3300石を与え優遇したそうです。

  


 直江山城守兼続夫妻の墓

  
県指定文化財

「才気群を抜き、謙信・景勝に仕え、藩政を一身に統括。荒地開発、産業開発、学問の興隆、民生の安定等を図り、実に米沢開創の恩人である」
 と説明があった。米沢発展に尽くした偉大な政治家だったのですね。

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