結城に蕪村を尋ねる

江戸時代の俳人であり画家でもあった与謝蕪村が若い頃,江戸から知人を頼って結城に来ていたという。市の「蕪村の句碑めぐり」を頼りに句碑を訪ねながら、自転車を借りて市内を一巡した。資料には10ヶ所が示されているが、私が句碑を見つけたのは4ヶ所。探しようが悪かったのだろう。でも、句碑を探しながら、結城の歴史や産業なども知ることも出来た。
 
水戸線結城駅北口。
20年前頃には平屋の木造の駅舎だったと思うが、立派な三階建ての広い駅舎となって、各種の隣接設備とつながっていた。長い階段は老骨には苦手。
    蕪村句碑 駅前 観光物産センター前
秋のくれ仏に化る狸かな       蕪村
きつね火や五助新田の麦の雨
猿どのの夜寒訪ゆく兎かな
 「蕪村の句碑めぐり」に従い最初に乗国寺へ。 寺の縁起によると、結城合戦で敗れた結城持朝の菩提を弔う寺となり、以後結城家の位牌所となる。総門、山門、座禅堂、観音堂などを備える臨済宗の寺。 
 
 山門。暴風の被害のため、下部は改築。    見龍山覚心院乗国寺本堂。堂右前に五百羅漢。
 
信濃国歌碑。信濃国は十州に境連なる国にして……。長野県の県歌が、下総のここに? 現住職が長野県の出身の由。   蕪村の句碑を探したが見つからず。代わりに一つの句碑。
 閑さや羅漢の在す乗国寺  など 樹村 
 
窪田山松月院。乗国寺の別院。結城十七代晴朝が簾中の菩提を弔うため開山。この近くに結城家の墓地があった。→     結城家御廟。初代朝光から16代政勝などの五輪塔が並ぶ。
周囲に堀や土塁を巡らし、床には大谷石があったそうだが。
城址公園。結城・水野氏の結城城址。結城は初代結城朝光以後18代秀康の越前転封まで治め、一時幕府領、次いで水野氏が治める。城跡には、当時の建物はなく、僅かに平城としての遺構が残るばかり。花見の宴など市民の憩いの場となっている。  
 
土塁の跡。    僅かに残る堀の跡。
 
 行く春やむらさきさむる筑波山  虚子    碑の背後の木立の間から筑波山が覗いていた。
 
 聡敏神社.水野家の祖・水野勝成を祀る神社.。.聡敏?と思ったら「聡敏」は水野勝成の号だって。聡明で敏感で??    三日月橋。黄金伝説の地。朝光が奥州藤原氏から取った砂金を埋めたとか。以来何人もが黄金探し。水野氏も吉宗も?
 
 通りかかった結城紬の織りと染めの体験工房「紬の里」    紬の手織り。コースター2枚1組(織り時間約30分)1500円から
結城紬は奈良時代から続く高級織物。国の重要無形文化財、ユネスコ無形文化遺産登録 。市内には、見学、体験、着付けなどが出来るところが何カ所かあるそうだ。庶民にはちょっと手が出ないのだろう。
 
日蓮宗法頂山 妙国寺 本堂   早見普我(北壽) の墓
 蕪村は27歳の秋、同門の砂岡雁宕を頼って結城へ。以後およそ10年をこの地で、俳句と画業に精進したという。雁宕の叔父酒造家の早見晋我を師匠のように慕ったという。蕪村は鬼怒川の先下館にいて晋我の訃報を聞てこの和詩を捧げたという。 
  
 北壽老仙をいたむ

君あしたに去ぬゆふべのこゝろ千々に
何ぞはるかなる
君をおもふて岡のべに行つ遊ぶ
をかの何ぞかくかなしき
蒲公の黄に薺のしろう咲きたる
見る人ぞなき
雉子のあるかひたなきに鳴を聞ば
友ありき河をへだてゝ住にき
へげのけぶりのはと打ちれば西吹風の
はげしくて小竹原真すげはら
  のがるべきかたぞなき
友ありき河をへだてゝ住にきけふは
ほろゝともなかぬ
君あしたに去ぬゆふべのこゝろ千々に
何ぞはるかなる
我庵のあみだ仏ともし火もものせず
花もまいらせずすごすごとたたずめる今宵は
ことにたうとき
                   釈蕪村百拝書
 庫のうちより見出つるまま是にしるし侍る
   注:すごすご:すご繰り返し記号 たたずめる:行人偏
 
 浄土宗壽魚山弘経寺本堂。屋根瓦に三つ葉葵紋が。    蕪村句碑 肌寒し己が毛を噛む木の葉経
 
 古寺や霧の籬の鈴の音 雁宕   砂岡雁宕墓 
蕪村は同門の雁宕を頼って結城へ。下館に移り住むまで当寺に住む。その間、各地の俳人とも交流。また画家として腕を振るい弘経寺にふすま絵などの作品を残す。(非公開)  
 
 浄土真宗新居山称名寺本堂。結城朝光が建立。   結城朝光の墓。
後日、結城にはこれらの他蕪村の句碑があると知って結城再訪。  
 
茨城百選  久保田一里塚。碑石は「鬼怒川上流の石」とある。
ここは河の一里塚。小型舟からここで荷を高瀬舟に積み替え鬼怒川を下って江戸などに運んでいた由。近在の物資だけでなく東北諸藩の荷物も。
  眼の前の鬼怒川を眺めると、河岸の跡も水も流れていない。
洪水などで流路も変わるのだろう。多分、水は対岸の近くを流れているだろうか。直ぐ近くの栄橋は全長315m。多分川幅も。橋の近くでは筑波山も望めた。
 
 蕪村の句碑とか。左方が句としたら、右方はなんと?悲しいかな全く読めない。説明板もない。市の資料には「夜すがらやゆく手出まとる秋のこゑ」とあるが。「出まとる」???  右下は名前? 読める方は是非お教えを。碑面は年輩の一団が用紙を貼って拓本取りの最中。読みを聞いたが読めないという。   蕪村句碑
菜の花や月は東に日は西に  蕪村
公園の片隅に隠れるようにして建てられていた。案内板もなくついぞ見落とした。拓本取りの方が碑の場所を教えてくれた。昔、教科書にも取り上げられた名句がかわいそうだ。 
読めない碑が気になって、後日、結城の知人を通して碩学に尋ねたら、左の碑の「出まとる」は「出まどう」の意、末尾の「秋のこゑ」は秋のすゑ」で、「夜すがらや ゆくて 出まとる 秋のすえ」ではないかとのこと。
右方の文字は「絹川へ  さと川の 落ち合ふ 里に 泊まりて」  と読むとのこと。教えられて見ると、なるほどと納得できました。

INDEX

inserted by FC2 system