箱根湯本を散歩する

久しぶりの旅だからと温泉を選んで箱根湯本に宿を選んだ。和風旅館を選んだが、選択を間違えたらしい。相応の値段だがそれ相応の宿とはいえなかった。ただ、旧街道沿いの宿の位置は、朝の散策にふさわしいところだった。
 
 街道案内。「この寺は曽我兄弟の伝説を伝える古刹です。この寺の創建は明らかではありませんが、鎌倉時代……」   臨済宗大徳寺派正眼寺本堂。旧街道に沿い、背後の斜面に墓地を背負う。
 
曽我堂。曽我兄弟の菩提供養に建立。五郎・十郎それぞれの地蔵菩薩立像を安置する。     槍突き石。曽我五郎が病気回復の証に槍で突いたという。
 
曽我兄弟供養塔。    芭蕉句碑。山路来て何やらゆかしすみれ草 芭蕉翁(ピンボケ)
 
双体道祖神。街道を行く人の無事を祈って。    旧箱根街道一里塚跡の碑。日本橋から22番目の塚があった
 
 馬の水飲み場。街道脇の民家の壁に沿って。水はどこから?   「国指定史跡 箱根旧街道」入口。入口は指定史蹟ではない
 
箱根旧街道石畳。路面は固めてはあるが、でこぼこ路。足元を見ながらでないと、きっと転倒するだろう。 
 
元箱根旧街道。曲がりくねった急勾配の多い街道の所々に。幾つもの温泉宿が点在している。 
 
 早雲寺総門。立ち入り禁止。   庭にひともと萩が咲いていたが…… 
 
 臨済宗大徳寺派金湯山早雲寺本堂。   宗祇句碑  世にふるも更に時雨の宿りかな
大永元年(1521年)、北条早雲の遺命でその子氏綱が京都大徳寺より世以天宗清を招き創建。
天正18年(1590年)、小田原征伐の際秀吉軍の本営が置かれるが、石垣山城が完成すると焼き払われた。
寛永4年(1627年)、僧・菊径宗存により再建。氏政の弟の氏規(狭山城主)の五代氏政が寛文12年先祖五代の供養塔建立。  
 
 北条五代の墓は背後の小高い位置にあった。   北条五代の墓。右から 早雲 氏綱 氏康 氏政 氏直
 
 これはどなたの??    徳川秀忠侍医 曲直瀬三代 今大路三玄鑑の墓
 
 連歌師宗祇法師の墓。室町寺時代の連歌師。   稲津祇空の墓。江戸中期の俳諧師。
 
  開山堂。早雲寺開山以天宗清を祀る。京都大徳寺第83世だったが北条氏綱に招聘されて開山となる。   あかときと啼くひぐらしいにさきがけて
        天にながらふ勤行蝉のこゑ   秋人
 
  枯山水石庭「香炉峰」 北条早雲の末子で箱根権現別当の幻庵長綱の作庭とか。
背後の自然林は絶滅危惧種のヒメハルゼミ(勤行蝉)の棲息地で、6月末から七月中旬の蝉の合唱は夕暮れの風物詩だって。
 
天気予報が外れて、間もなく一雨来そうな箱根の山並み。    箱根湯本駅前。駅に入ったら、いるいる国内外の人の群れ。

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