茨城町の小栗判官・照手姫
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天台宗法睿山高岳院圓福寺本堂。弘仁3年(812)創建。 | 木造阿弥陀如来三尊像。 | ||
小栗堂。近くの廃寺となった竜含寺から移された。堂には→ | 小栗判官像(右) 照手姫像(左) | ||
水戸光圀は家来を遣わして、判官照手の像を確かめさせ、「幾年の春は過ぐれど古寺の花は昔の梅の香ぞする」と詠み判官と照手を偲んだという。地域の人は「小栗様」といって一月十四日と六月十四日に小栗堂に参拝、馳走を持ち寄り偲ぶそうだ。 | |||
竜含寺跡地のこの山の高いところに→ (圓福寺提供写真) | 小栗判官と家来の墓がある。(圓福寺提供写真) | ||
道なき山道を登るそうだが、今は私有地で立ち入ることができない由。是非、参拝できるよう働きかけて貰いたいものだ。 | |||
真言宗神宿山本覚院真照寺。天喜元年(1053)創建。 | 本尊十一面観音像。照手姫の守護仏と伝えられる。 | ||
観音像は近くの地副院にあったが廃寺となって本寺に移された。近くには小栗判官の居宅址があるとか。 | |||
ふたつの寺の住職には、とても丁寧に対応してくれた。それなのに、なんだかつまみ食いのような杜撰なアルバム。圓福寺では、厳重な戸締まりの小栗堂の鍵を運んできた脚立に乗って、ふたつの鍵を開けてくれた。真照寺では、本堂奥まで案内してくれ、立派なふたつの位牌を見せてくれたのに、どなたの位牌か肝心なことを聞き漏らしてしまった。脱ぎっぱなしの靴の向きを直してくれ、とても恥ずかしい思いをした。 位牌には 長壽院殿顔慈照大姉 安永六年己酉六月十有二日 壽経院殿光譽妙照大姉 元久三年戊午年七月二十五日 と読みとれますが正しいかどうか。 安永六年は1777年(江戸中期)、元久三年は1206年(鎌倉初期)ですが、どなたの位牌なんでしょうか。 |