石岡をちょっと散策

茨城町へ小栗判官と照手姫ゆかりの地を尋ねる途上、常磐線、六号国道沿いの石岡の旧市街をちょっとだけ散策した。観光案内所で一日300円のレンタサイクルをかり、案内図を頼りに回ったが、わかりにくくて、途中で何回道を尋ねたことやら。
 
史蹟 常陸国分寺趾。   国分寺僧寺の七重塔心礎石。
聖武天皇の741年の勅願で、国家鎮護、五穀豊穣のため、国ごとに国分尼寺とともに建立された。金堂、中門、回廊、仁王門、七重塔などがあった。国分尼寺跡はここから1キロあまり離れた所にある。跡地には  
 
国分僧寺の址に真言宗智山派浄瑠璃山東方院国分寺が。    「 常陸国分寺本尊薬師如来堂」と掲げているが……
 
 扇歌堂.。都々逸坊扇歌顕彰のため建立。扇歌の木像を祭る   たんと売れても売れない日でもおなじ機嫌の風車 扇歌 
 初代都々逸坊扇歌は茨城県常陸太田市に生まる。幼少の頃失明。江戸へ出て寄席芸人となる。 都々逸節を創始。「上は金下は杭なし吾妻橋」と詠んで江戸追放。石岡の姉の嫁ぎ先に身を寄せ、48歳で死去。(説明板概要)
 
 常陸国府趾。後に大掾氏が府中城を築く。背後は土塁?   のち、佐竹氏に攻められ落城し廃城。今では、石岡小学校。 
 
 常陸国総社宮随身門。   拝殿。 
 
 総社の名の通り、幾つもの社が並んでいた。   日本武尊腰掛石。いつ当地を訪ねたのだろう? 
 
 街道沿いには昭和初年に建てられた「看板建築」という店舗などが点在していた。地方には珍しいコリント様式、イオニア様式、アールデコ調など、店舗正面を飾り立てた重厚な意匠を凝らした登録文化財指定の店舗。 
 
金刀比羅神社。祭神は大物主神。大掾、府中松平氏の庇護。   二日路は筑波にそふて日ぞ長き 子規     金刀比羅神社
常磐線がなかった明治22年。水戸の友人宅を訪ねるため、友人と二人で徒歩で水戸へ向かう。石岡の宿を「いで行くに筑波山は昨日のけしきにひきかへていとさやかに見られける」 (正岡子規「水戸紀行」)   

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