六甲山から有馬温泉へ 

1995年の阪神・淡路大震災の何年か前、職場の仲間と神戸を訪れ、観光スポットをいくつかまわって、おいしい神戸牛のステーキを堪能し、六甲山に登って百万ドルと云われた神戸の夜景を眺めた事があった。そんなことを思い返しながら、もう一度夜景を眺めようと日没時刻を調べ、六甲山を経由して宿の有馬温泉へ降りるコースを選んだ。

「六甲山は、神戸市の北部を屏風のようにそびえ立つ標高931mの連峰。明治初年に外国人が別荘を構えた頃から、保養地としての開発が進み、六甲山上一帯は1956年に瀬戸内海国立公園に編入される。ガーデンテラス、高山植物園、森林植物園、六甲山牧場、人工スキー場などの施設が数多くある」とか。そんな中から、いくつもある夜景スポットの一つガーデンテラスだけを選んで足を運んだ。
 
 六甲ケーブル下駅から六甲山上駅までの約1.7km、高低差493.3mを約10分間で登る。    六甲山上駅からバスを乗り継ぎ、一番の夜景スポットというガーデンテラスへ。
 
 ガーデンテラス。ここは標高880m。土産物店や飲食店など十数軒が並ぶ。    見晴らしの塔。明石海峡から大阪平野までワイドな景色が楽しめるとか。
 
雲が空を覆い、僅かに神戸の街と対岸の和歌山あたりがかすかに一線に延びる。     海に突き出たのは六甲アイランド? 以前見事な夜景を眺めたのはどこだったのか??
 
雲は段々厚くなる。小雨が降り出し、肌寒い。山頂駅は10℃からここはもっと低い筈だ。    暮れゆく空に淡路島と明石大橋がかすかに浮かぶ。 
 
100万$から1000万$に格上げの夜景も、コーヒー一杯だけで断念し、バスで山頂駅へ。   山頂駅から 六甲有馬ロープウェーの12分の空中散歩。鮮やかな紅葉は見当たらない。
 有馬温泉は、「神代の昔からあったが、欽明、孝謙天皇なども有馬の湯を楽しんだことで有名になった」そうだ。確かに日本書紀に「秋九月の己戌の朔己亥に、津の國有馬温湯に幸す。」とあり、12月まで滞在したとある。
有馬が広く知られるようになったのは、奈良時代の行基、鎌倉時代の仁西という二人の坊さんの働きだそうで、その後秀吉が度々訪れて改修したり湯山御殿を建てたりしたことだって。
江戸時代には「有馬千軒」といわれる繁盛ぶりだったとか。今は何軒の宿があるのだろう?
 
 これも神戸の夜景。部屋からみえる宿の数々。たくさんの人が泊まっているのだろうなあ。
「量より質重視の全10品~美味少量会席プラン」という宿泊プランを選んで泊まる。広い部屋でゆっくり食べる会席料理は、「少量」とはいうが、初めから箸を加減していてもとても食べきれない。料理の味に魅せられて、ついつい食べ過ぎたかな。

「金泉」という赤茶色に濁った湯にも浸った。温泉に含まれている塩分、鉄分の効果で体の芯から温まるとか。上がったら体を流さないと色が落ちるという。
普段より宿泊費を少し弾んだが、それ相応の施設、食事、温泉、対応だった気がする。 
 
有馬川。流れ下って武庫川へ流れ込む。    この川は六甲川? 手摺りは赤いが。
 
 豊太閤像。太閤橋を通る人々を眺めている    「ねね橋」の傍らに「ねね」が立つ。 
 
善福寺。727年行基が創建、仁西が再興と、有馬温泉の恩人の二人の上人に縁の寺。    利休居士供養塔。利休も度々秀吉と共に有馬温泉を訪ねたそうだ。       善福寺
 
 大きなホテル街を離れて、細い坂道を登ると昔ながらの湯宿が軒を連ねる。   金の湯。鉄分と塩分を含み、空気に触れて茶褐色に変化する。650円。この日は休業日。
 
御所泉源。塩分と鉄分を含む赤湯(金泉)
有馬には源泉が数カ所あるそうだ。
  行基の像。有馬が名高くなったのは行基が温泉寺を建立したことに由来するとか。 
 
黄檗宗有馬山温泉寺。神亀元年(724)に僧行基が建立したといわれる寺院。   浄土宗摂取山念仏寺。ねねの別邸跡とか。本尊は快慶の作と伝わる阿弥陀如來像。
 
浄土宗山号寂静山伝法院極楽寺。聖徳太子創建という。阪神淡路大震災の時破損した 庫裏を修復中、基礎の下から秀吉が築造した「湯山御殿」の遺構の一部が発見される 。    「太閤の湯殿館」と手前は帯曲輪と隅櫓跡。
遺構を覆って資料館とし、遺構のほか出土した茶器や瓦などや秀吉と有馬温泉の歴史資料が展示されていた。
 
岩風呂の遺構(実物)   蒸し風呂遺構。(実物)
 
 銀の湯。炭酸泉とラジウム泉、2種類の「銀泉」を楽しめる「銀の湯」。透明の湯。500円   炭酸泉源。単純二酸化炭素冷鉱泉。昔は砂糖を加えサイダーとして飲用。 
 
 試飲の炭酸泉源水。舐めたがとても飲めず   高台から望む有馬温泉。 
 
瑞宝寺公園山門。  明治初年、伏見桃山城から移築した。 ここは有数の紅葉の名所だが。    瑞宝寺公園は明治初期に廃寺になった黄檗宗瑞宝寺の跡地。紅葉には少し早いようだ。
 
太閤遺愛の石の碁盤。新緑や紅葉の木立の中での対局は、さぞかし気分もいいのだろう。   ありま山ゐなのささ原風吹けば
  いでそよ人を忘れやはする 大弐三位
 
11月には秀吉が利休らと大茶会を催した故事にならい、有馬大茶会の野点が催される。    秀吉が「いくら見ていても飽きない」と、褒め称えことから「日暮らしの庭」とも呼ばれる。 

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