鼠ヶ関から村上へ
山形県鶴岡市の鼠ヶ関から新潟県村上市へ日本海沿いの道を辿りました。芭蕉が辿ったおくの細道の道筋ですが、芭蕉は酒田から富山県の市振まで筆を飛ばしています。以前、おくの細道を辿る旅をした際も、私は酒田から柏崎まで飛ばしていました。今回は飛ばしていたこの間を、ちょっとだけ辿ってみることにしました。

新潟駅から特急「いなほ」に乗り換えて、山形県鶴岡市の温海温泉駅まで行き、そこからタクシーで鼠ヶ関まで南下しました。鼠ヶ関は背後に山地を負った小さな漁村です。尋ね回るのは東西南北一キロ足らずの狭い区域でした。ここには、太平洋側の勿来、中央部の白河と並んで日本海側を押さえる奥羽三大関門の一つ鼠ヶ関が置かれていたところです。先に白河、勿来を訪ねたことがあるので、残りの鼠ヶ関まで足を伸ばしたのです。ここには二つの関址がありました。昭和の発掘調査で確認された古代鼠ヶ関址と、絵図も残る近世念珠関址です。しかし今では位置を示す石碑だけです。

源義経が兄頼朝に追われて平泉へ逃避する道すがら、関所で疑われたので、弁慶が金剛杖で義経を打擲した姿を見た関守は、義経と分かりつつも関の通行を許した――歌舞伎の「勧進帳」や能「安宅」の名場面ですが、その舞台は石川県の小松で、関址には、名場面の像や弁慶の像などもありました。しかし、「義経記」には「念珠の関守厳しくて通るべき様も……」とあります。その故にかここには「勧進帳の本家」という標柱がありました。ここには名場面の像も義経の銅像もありませんが、義経が上陸した地、義経が宿泊した家(?)などがあるばかり。なんだか小声で言ってるようにです。

鼠ヶ関を出外れると、新潟県村上市です。海岸線を南下していくと、やがて「笹川流れ」という山地が海岸まで延びて、絶壁や奇岩などが連なる景勝地があります。海上からでないとその光景は見えないので、遊覧船に乗りました。景色はそれなりにいいのですが、餌付けをまつカモメが追いかけて餌をせびるやら糞をするやら。船から望むあちこちの岩にも義経にゆかりがあるなどと、船のガイド。

村上に着くと、そのまま宿へ直行。瀬波温泉の古い数寄屋造りの静かな宿でした。通された部屋は、檜風呂温泉つきで、炉と自在鉤のあるゆったりした三部屋続きの部屋でした。瀬波温泉は明治時代、石油掘削をしていて温泉が吹き出したそうです。今も源泉が湯煙を噴き上げていました。温泉地へ行っても、入浴は諦めていたのですが、部屋の温泉に水を加えてぬるくして、半年ぶりに浴槽に身を沈めました。でも、温い湯では入った気にはなりませんでした。                   
翌日、レンタサイクルを借りて市内観光。村上の一番の目玉は「鮭」。市内を流れる三面川で江戸時代から藩が管理して養殖してきたそうです。大な鮭の資料館、鮭製品を販売する店舗等がありました。そのほか、村上の特産品に、村上茶、日本酒、村上牛、堆朱等があるそうです。「堆朱」という言葉は今回に旅で初めて知りましたが、漆塗りの工芸品です。一軒の店に立ち寄ったのですが、庶民にはちょっと手がでないような見事な物でした。

肝心の「芭蕉」さんですが、おくの細道には「鼠の関をこゆれば、越後の地に…」とだけあり、鼠ヶ関を通っても、何も心を揺さぶれなかったようです。村上には2泊して、多分鮭も食べたのでしょうが、体調を崩したためか、何も書いていません。芭蕉が泊まったという宿という処も伝えられていました。温海温泉行きの特急で食べた駅弁は「鮭の焼付弁当」、宿の食事、昼の「塩引き鮭茶漬け」と、鮭三昧。鮭の栄養で動脈硬化などの成人病の予防効果も高まったのでしょう。    アルバム

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