江ノ島53年ぶりの再訪
海を眺めたいと思い、江ノ島へ53年ぶりに訪ねました。江ノ島へは、一度だけ乗り換えれば行けるので足を向けたのです。53年振りです。若い頃、仕事で出掛けて江ノ島の旅館で泊まったことがあります。その折りの記憶はほとんど残っておりませんが、長い橋ー確か木橋、狭い参道の仲見世、海岸の洞窟、灯台などがちょっとだけ。50余年の変貌を確かめるのも一興かなと思って出掛けました。

東京を素通りして大船まで行き、そこで湘南モノレールに乗ると、20分足らずで湘南江ノ島駅に着きました。このモノレールは1970年に開通したそうです。敷地を確保するのに随分困難だったのではと思いましたが、路線の多くは既存の道路の上を走っていました。民家の二階とすれすれなようなところもあり、車窓から見下ろすとなんとも違和感のある光景です。砂嘴の上に架かる600メートル程の江ノ島大橋を渡って駅から江ノ島までは1キロあまり、たったそれだけ歩いただけで、もう足を引きずるような始末、この先の坂道をどうすることやら。

江ノ島へのルートは、湘南モノレールの他、藤沢・鎌倉からの江ノ電、同じ藤沢から小田急、この他路線バスもあるそうです。交通至便な江ノ島は、江戸時代から大山詣と並ぶ庶民の信仰と行楽の地であったようです。今回尋ねた時も、平日だというのに若いカップルからお年寄り夫婦、中年婦人のグループなど、善男善女かどうかは知りませんが、まさに老若男女で大賑わいでした。まさか、小中高の生徒の姿は見かけませんでしたが、意外と若いカップルの姿が多いように思いました。何でも江ノ島は恋人の聖地でもあるとか。

信仰の島江の島は、江島神社が鎮座しており、三つのお社からなっているだそうで、麓に近い方から辺津宮、中津宮、奥津宮からなり、三人姉妹の女神がそれぞれ祀られているそうです。一番遠い奥津宮までは足を運べませんでした。仲見世に犇めいていた人々はどこへ行ったのか、神社で参拝している姿はあまり見かけませんでした。多分、全島に散らばったのでしょうね。

江島神社の急な坂道の仲見世の両側には、土産物屋、貝細工や魚の干物、羊羹、蛸煎餅……飲食店などが並んでいます。まさかと思いましたが、なんと江ノ島に温泉まであるとは。この仲見世で「江ノ島丼発祥の店」という看板を見かけて、昼食にその「江ノ島丼」を食べてみました。さざえとしらすを卵でとじた丼だそうですが、よほど柔らかだったのか、サザエがあるとは分かりませんでした。「名物に……」というところだったでしょうか。

江ノ島の高いところは標高60m程で、以前は長い石段を登ったのですが、今では屋根を掛けた斜面のエスカレーターが3ヶ所伸びていて、僅か数分で50m程を登って行くことが出来ます。でも、お帰りは石段をご自身のおみ足で。

一番高いところはちょっとした広場になっていて、そこには展望台や庭園、展望灯台などがありました。50年前には植物園があった気がしますが、見当たりません。展望灯台とは民間建設の灯台で観光施設を兼ねているのでしょう。高さ59.8mの眺望を楽しむためには500円が必要でした。展望台からは、うっすらと富士山が見えます。多分、茅ヶ崎あたりから、稲村ヶ崎、七里が浜、逗子あたりまで見えたのでしょう。案内には大島も見えるとありましたが、見つかりませんでした。灯台から見下ろした稲村ヶ崎は帰途に立ち寄る計画でした。数日おきぐらいに歌っている「鎌倉」の歌の中で唯一足を運んだことのないところだからです。でも、時間が押して展望灯台から眺めただけで、後日の宿題にしました。

展望灯台のある一帯はサムエル・コッキング苑と言うそうで、灯台も、江ノ島灯台ではなくサムエル・コッキング苑灯台というそうです。明治初年アイルランドの貿易商がこの地を取得して植物園を開いたのが始まりだそうです。苑内には友好提携都市の韓国、中国、カナダ、アメリカ、それに松本市の記念施設があるそうですが、全部は回りきれませんでした。

予定では、53年前にも行った海辺の洞窟「岩屋」も尋ねるのでしたが、台風21号の影響で公開中止とのこと。帰りの下り階段の途中,、児玉神社があったので足を運びました。ここは「日露戦争で日本を勝利に導いた救国の英雄」児島源太郎を祀るそうです。初めて耳にする人です。どんな活躍をなさったのでしょう?

たいして歩いたわけではないのに、幾つも積み残したまま早々に帰途に。江ノ電で藤沢まで、そこでJRに乗り変えて帰宅しました。粗雑なアルバムです。

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