雨の幻住庵を訪う       
               近江に芭蕉ゆかりの地を尋ねる 4

  蜆とる舟おもしろき勢多川のしづけき水に秋雨ぞふる 長塚節
豪雨の石山寺をあとに、瀬田川名物の蜆舟も見えないが、「しづけき水に秋雨」が降るのを見ながら瀬田川に沿って車を走らせ幻住庵に向かう。雨の中、薄暗い山道を足を踏みしめて「三曲二百歩」で登る。

「石山の奥、岩間のうしろに山有、国分山と云。…麓に細き流を渡りて、翠微に登る事三曲二百歩にして、八幡宮たゝせたまふ。…日頃は人の詣ざりければ、いとゞ神さび物しづかなる傍に、住捨し草の戸有。よもぎ・根笹軒をかこみ。屋ねもり壁落て狐狸ふしどを得たり。幻住庵と云。」(幻住庵記)

「幻住庵は奥の細道の旅を終えた翌年の元禄3年(1690年)3月頃から、膳所の義仲寺無名庵に滞在していた芭蕉が、門人の菅沼曲水の奨めで同年4月6日から7月23日の約4ヶ月間隠棲した近津尾神社境内の小庵。47歳の芭蕉は、この庵で半生を綴った「幻住庵記」を書いた。

幻住庵に暁台が旅寝せしを訪ひて   与謝蕪村
   丸盆の椎にむかしの音聞む 
 
 「三曲を登れば晴るヽ時雨かな」 藤本洞里
時雨ならぬ雷雨の中を山道を三曲登ったが晴れない。
  「ほろほろと山吹ちるや瀧の音」
山道に沿ってこんな句碑が10基の建てられていた。
 
 「とくとくの井戸」 「たま/\心まめなる時は、谷の清水を汲みて自ら炊ぐとく/\の雫を侘びて一炉の備へいとかろし。」(幻住庵記)    幻住庵門。神社より一段高いところに建つ。現在の建物は1991年9月に芭蕉没後300年記念事業「ふるさと吟遊芭蕉の里」の一環で復元したのだそうだ。
 
 「人家よきほどに隔り」つつじ咲き、山藤松にかかり、時鳥しば/\過ぎ、琵琶湖も見えるなど申し分ない庵    庵は丁度句会の最中で早々に退去。二間があるらしかったが詳細はわからない。参観料は無料。
 
 「幻住庵記」全文。    幻住庵跡。復元の庵より下の椎の木の傍。
   
右の句に詠んだ 椎の木。    「先たのむ椎の木もあり夏木立」
 
 芭蕉翁経塚。
   近津尾神社。祭神は誉田別尊。石山寺の鎮守社として創建。「神体は弥陀の尊像とかや」(幻住庵記)
 
近津尾神社神門。膳所城の米倉門を移築。瓦は立ち葵の紋入り。     源氏物語千年紀in湖都大津のマスコット「おおつ光ルくん」 なぜかさびしそうな顔で案内していた。
  …賢愚ひとしからざれども、其貫通するものは一ならむと、背をおし、腹をさすり、顔しかむるうちに、覚えず初秋半に過ぬ。一生の終りもこれにおなじく、夢のごとくにして又々幻住なるべし。
 先たのむ椎の木もあり夏木立。
 (やが)て死ぬけしきは見えず蝉の声   元禄三夷則下  芭蕉桃青   (幻住庵記) 

  秋の坊を幻住庵にとゞめて
    我宿は蚊のちいさきを馳走かな    (芭蕉 一葉集)

芭蕉のいたときから300余年たった今でも「日頃は人の詣ざり」で、句会の人を除くと誰にも会わない。蚊がご馳走というとおり、今にもヤブ蚊に襲われそうな処だが、それだけ閑寂な処だ。昔は、膳所城や琵琶湖も見えたそうだが、木立が茂っていて眺望は全くきかない。

義仲と芭蕉の眠る義仲寺     INDEX           

inserted by FC2 system