義仲と芭蕉の眠る義仲寺
近江に芭蕉ゆかりの地を尋ねる 5
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義仲寺山門。この前の通りは、旧東海道。かつてはこの辺りは粟津ヶ原といい琵琶湖に面した景勝の地だった。 | 「巴地蔵堂」山門右手の提灯のかかる一角。巴御前を追慕する石彫地蔵尊を祀る。 | ||
「しぐれても道はくもらず月の影」 紫金 この灯籠はキリシタン灯籠だと言う人もあるが。 |
「山吹供養塚」義仲の側室山吹御前の塚。巴御前と共に信濃から京へと付き添ってきた召使。 | ||
「初雪や日枝より南さり気なき 蝶夢幻阿佛」 蝶夢法師は義仲寺を中興する。 |
「粟津文庫」蝶夢法師の創設。蕉門関係の貴重な資料を上梓、収集して収蔵する。 | ||
「無名庵」芭蕉が数度にわたってこの庵に滞在する。 | 「行春をあふミの人とおしみける」 芭蕉桃青 | ||
「木曽殿と脊中合せの寒さかな」 又玄 又玄(ゆうげん)は伊勢の御師・俳人。芭蕉を訪ねて無名庵に泊まったときの句。 |
「古池や蛙飛びこむ水の音 翁」 | ||
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「巴塚」信濃国の豪族・中原兼遠の娘で、源義仲の愛妾。樋口兼光・今井兼平の妹。 | 源平盛衰記によると幕府にとらえられ再婚するなどして、木曽で九十歳の生涯を閉じたとか。諸説紛々。 | ||
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「義仲公墓」(木曽塚) 義仲の忌日(義仲忌)は毎年一月の第三日曜日。 |
朝日堂(本堂)本尊は聖観世音菩薩。義仲、義高父子の木像、兼平、芭蕉、丈艸ら31柱の位牌を安置する。 | ||
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「芭蕉翁」墓。義仲の墓の背中ではなく右隣に並ぶ。 | 「朝日将軍木曽源公遺跡之碑」文字は読めない。 | ||
「旅に病で夢は枯野をかけ廻る 芭蕉翁」 「病中吟」と題した芭蕉最後の句、元禄7年10月8日 |
境内は細長く、そのあちこちに20余句碑、墓、供養塔、神社などが並んでいる。 | ||
「翁堂」蝶夢法師が明和6年(1769)に再興。後類焼して安政5年に再建。 | 「翁堂」正面に芭蕉、右に去来、左に丈艸、左側面に蝶夢の像、壁の周りには多くの俳人の肖像が。 | ||
「芭蕉像」翁堂正面中央に。頭上に「正風宗師」の額。 | 天井には伊藤若冲筆四季花卉の図が描かれている。 | ||
「芭蕉 椿の杖」 史料館には義仲や芭蕉関係の資料が展示されていた。 |
蕉門十哲の一人、杉山杉風書「亡師芭蕉翁之像」 「大津繪の筆のはじめは何佛」の芭蕉の句を添えて。 |
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