潮来のあやめ 

あやめの盛りにはだいぶ早いだろうが、時程からここで宿泊し、ついでにちょっと歩くことにした。ずっと昔、あやめ祭りの最中に、団体の尻に付いて来て、見事な花園を見たことをどこかに覚えている。
 
宿の8階の部屋から見下ろす北利根川、左の橋はJRの鉄橋、下流20kmで利根川に合流、更に18km下ると銚子で太平洋へ。右は5kmで霞ヶ浦に通ずる。 
 
「潮来ホテル」96室の大きなホテルだが、この日の客は30名未満か。6月には満室になるのかな?  宿は政府登録国際観光旅館だというのに、従業員の教育はいまいち。豪勢な食膳ではなかったが、何十年ぶりに食べた「鯉の甘煮」はおいしかった。 
 
 『潮来出島のまこもの中に あやめ咲くとはしほらしや 光圀』元禄12年領内巡視の折りに詠む。    殆ど咲いていない前川あやめ園。左に前川が流れる。右向こうは昨夜の宿の「潮来ホテル」
 
 北利根の対岸に生えるのが真菰かな。    朝の散歩で出会った釣り人はブラックバスつり。
 
 利根こちら満ちくる潮も年新らた 力康   宿から1km程の稲荷山の麓の趣のあるお社。 
 
稲荷山の稲荷神社。標高19m。散歩に登ってくる人影はなく、展望台下に宿無しが二人寝る。     野口雨情自筆詩碑。「船頭小唄」
「おれは河原の枯すすき 同じお前も枯すすき…
 
 展望台の眺望。霞ヶ浦は木蔭で見えない。   杉木立のなかに曰くありげな堀あとが。 
 
水戸光圀公御休処「遺愛亭跡」 眺望を楽しんだ?    稲荷山を降りるとその山麓に長勝禅寺があった。
臨済宗妙心寺派海雲山長勝禅寺。文治元年(1185)創建。源頼朝が武運長久を祈願して建立、元禄年間に水戸光圀が再建したと伝える。  
 
 山門。県指定文化財。元禄13年、光圀の命でここに移築。禅寺らしい雰囲気を感じさせる。   本堂。県指定文化財。源氏の定紋「笹りんどう」を頂く。「唐様建築の遺構で禅寺の風格を保つ」由
 
 文治梅。頼朝が文治元年に植えたとか。   たひ人と我名よはれむはつしくれ ばせを翁 
 
塒せよわらほす宿の友すゝめ 松江 
あきをこめたるくねの指形    桃青 
月見んと汐引のほる船とめて  ソラ 
  鐘楼。銅鐘は国指定文化財。元徳2(1330)年、北条高時が頼朝の菩提のため寄進。「客船夜泊常陸蘇城」とも刻む。張継の「姑蘇城外寒山寺、姑蘇城外寒山寺夜半鐘聲到客船」になぞらう。
貞享4(1687)年仲秋末五日、鹿島詣での帰路、潮来に隠棲していた俳友の自準に一泊を勧められる。
松江は主人の自準、桃青は客の芭蕉、ソラは芭蕉に同行の 曾良。「鹿島紀行」に書き留める。 
 前川あやめ園。他に二つのあやめ園があるそうだ。ここは、北利根の支流前川の河畔に伸びる湿地帯で、約500種100万株の白、紫、黄の色とりどりのあやめが咲くそうだ。訪ねた日は勿論早すぎることは覚悟の上だが、あやめ祭りが始まって五日目。早咲きの種類もあると聞いてきたが。
 
橋幸夫が「潮来の伊太郎」に扮して招く。ボタンを押すと「潮来笠」「いつでも夢を」など5曲が流れる。 潮来笠詩碑。作詞佐伯孝夫、作曲吉田正。
「潮来の伊太郎 ちょっと見なれば ……」
 
 「いたこでじまのまこもの中にあやめ咲くとはしおらしい」というのがある。……この謡の作者は、謡のアヤメを美花の咲く Iris のアヤメとしているけれど、この Iris のアヤメは、けっして水中に生えているマコモの中に咲くことはない。そしてこのアヤメは陸草だから水中には育たない。マコモといっしょになって生えている水草のアヤメは、古名のアヤメで今のショウブのことであるから、これならマコモの中にいっしょに生えていても、なにも別に不思議はない。……(牧野富太郎「植物知識」)
光圀はアヤメ科の花が咲いていると詠んだのでしょう、富太郎さんのような分類にこだわらずに。
 
前川。観光の嫁入り舟は水、土、日に運行されるが、昨日は実際に結婚する人の嫁入り船が運航されたと言っていた。十二橋巡りもある。また、あやめ祭りの期間中は「櫓舟遊覧船」が運航される。    潮来花嫁さん碑。ボタンで歌が流れる。
詞柴田よしかず 曲水野富士夫 歌花村菊江
「潮来花嫁さんは潮来花嫁さんは 船で行く 月の出潮をギッチラ ギッチラ ギッチラコ……」
 
 アヤメ科の花の特徴一覧の掲示板から。開花期、花の形や大きさ、生育地、高さなどが異なる。また 花びらの付け根に、アヤメは網目、カキツバタは白い線、ハナショウブは黄色い線がある、とのこと。
今咲いているのは、水はけのよい湿地を好む、黄色い線のハナショウブ。 睡蓮はアヤメ科にあらず。
 
 
 あやめ園の清掃をしていたご婦人に、「真菰」はどれですか」と聞いたら、「見たこともないよ」とのご返事。さぞや黄門様もお嘆きに。  あやめ園には生えていないようだが、どこか近くにあって欲しい。
 
 水雲橋。前川あやめ園と前川を跨ぐ。    あやめ橋、次いで雨情橋、思案橋、水雲橋……
 ……何とも云へぬ靜かな心地になつて酒をふくむ。輕やかに飛び交してをる燕にまじつてをりをり低く黒い鳥が飛ぶ。行々子であるらしい。庭ききの堀をば丁度田植過の田に用ゐるらしい水車を積んだ小舟が幾つも通る。我等の部屋の三味の音に暫く棹を留めて行くのもある。どつさりと何か青草を積込んで行くのもある。……
わが宿の灯影さしたる沼尻の葭の繁みに風さわぐ見ゆ
沼とざす眞闇ゆ蟲のまひ寄りて集ふ宿屋の灯に遠く居る       若山牧水「水郷巡り」

…武井 鹿島詣 / 大船津ヨリ舟渡 / 六十四文 / 板久 俵屋泊 / 百五十文… 小林一茶「七番日記」
    文化14年(1817)5月26日に板久(いたこ)の俵屋に泊まり、翌日舟で銚子に向かう。
 三味絃で鴫を立たする潮来哉 一茶   この句碑が西円寺にある由。また潮来遊女の墓や供養塔も。

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