浅虫温泉から十三湖へ
          下北・津軽半島の旅 3

むつ市で遅い昼食を済ませると、あとは泊まるだけ。陸奥湾添いの道を南から西へと向きを変えながら、2時間あまり掛けて今夜の宿の浅虫温泉に向かう。道路はほぼ平坦でやれやれ。
 
 陸奥湾に小さく突き出た夏泊半島の東岸の漁村。ほたての養殖場かもしれない。    国道4号線(奥州街道)東京から茨城をかすめここまで伸びているのが、なんだか不思議にも。
浅虫温泉は、浄土宗開祖円光大師 が羚羊の湯浴みを見て発見した。(足湯の掲示)
元慶4(880)年慈覚大師円仁が恐山を開山後、各地を巡教中 浅虫で湯浴みして、そのお礼に薬師如来を刻み、村人に温泉の効用を伝えた。(椿館前の石碑)
織布のため麻や樹皮を蒸していたので「麻蒸」、火難を恐れ、火に縁のある文字をやめて「浅虫」。
 
 浅虫温泉街。宿は20軒足らず。古い湯宿は山の手に、海岸の埋め立て地には大手の宿が。    南部屋。客室は和室が61室。隣に同じ経営の「海扇閣」が並ぶ。浴衣姿で散歩、温泉地だけ。
 
 湯の島。浅虫温泉の沖合数百メートルの小島。4月にはカタクリの花で埋まるとか。   陸奥湾の日没。左手に遠く見える山は岩木山。
対岸の津軽半島まで十数キロほどの距離
 
 竹下夢二歌碑。いつのことかまだ若い頃、文通していた少女に会うため、浅虫温泉に来て泊まっていたそうだ。    浅虫の海の渚にしらじらと茶碗のかけらひかる初秋
いにしへの津軽少女のまなざしにあおみるひとのこころかなしも

 竹下夢二 「5月の旅」より 佐藤米次郎の版画を陽刻
 
 こんな夕食だったかな?  ほとんど食べなかったのでトンと記憶にない。 (宿の写真無断借用御免)    食事の際、津軽三味線の生演奏。激しく弾む三味の演奏、豊かな声量の歌声。 曲目は?
   
湯殿大権現源泉地足湯。ここは随分高温の湯だと聞いて敬遠。地元の人の語らいの場だ。
背後に源泉のタンクが少しだけ覗く。 
  足湯の隣に飲む湯と卵茹で湯があった。胆嚢、胆石、便秘、肥満、痛風…に効能。ご近所のご婦人が一口。効能を信じて私も一口。
 
 棟方志功の定宿 椿旅館。志功の作品の展示があって、見ることが出来るそうだが。    玄関からロビーの大作を瞥見。左右に小品も。
「萬里水雲長慈航又何處」下には半裸の女性達
 
 浅虫温泉の由来碑。
  浅虫へ海も山も温泉も  棟方志功
   湯の島は 海のもなかに冬さびて
  磯のなだりに常磐樹の立つ 鹿児島寿蔵
 
青い森鉄道、浅虫温泉駅足湯。散歩会のご婦人と足湯につかる。散歩の疲れが飛んでいく。     「また来てけろ~待ってるはんでの~」 
待ってはんでと言われても、これが最初で最後
 
 浅虫の海岸ともお別れ。眼の前の海釣り公園もヨットハーバーも海水浴場も、国道4号線越しに眺めただけ。左方に向かって靑森市街を通り抜け、十三湖、竜飛崎へ向かう。 
 
靑森県内では何カ所かで案山子による地域活性化と新たな街づくりを目指し、住民が手づくりの案山子を国道沿いに並べるイベントが行われる。これは多分「第5回かかしロード280」  
     
新青森から竜飛崎に向けて、北海道新幹線の工事が着々と進行中。  この新幹線のプランがあることは知っていたが、世事に疎くて、既に工事がどんどん進んでいることはこの時知りました。
 
途上で眼についたもう一つは、三大美林のひとつであるヒバの山林。靑森ヒバは、湿気に強く、木目が緻密で美しく、芳香性があり、家具・建具や内装材、木工品などに幅広く利用されている由。 
 
十三湖。周囲30km、水深最大3m。砂嘴を挟んで日本海に接す。南方より岩木川が流入する。良質な大和しじみの主産地。中世には幻の都市「十三湊」が西岸にあり、博多や堺と並ぶ交易港であったが津波で壊滅したという。  民謡「十三の砂山」の舞台。
 
 「吉田松陰遊賞之碑」北方海岸防備を視察のため、嘉永5年この地を通る。その日の日記に「真に好風景なり」と記した云々と右の由来の碑に刻まれている。小さく岩木山が湖上に浮かんでいる。 
 
道路の左右には活きシジミやしじみ南蛮漬、しじみエキス味噌、しじみの佃煮などの加工品などを売る店が。 4年前には対岸の店でしじみの味噌汁を味わったが、道中は何も口にしないと今回はパス。「しじみの味噌汁」の小袋一つだけ買って、帰宅後ちょっと味わったが、まあ。
 国道339号線を約1時間半かけて北上し竜飛崎へと向かう。天気もよくなったし、やれやれ。

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