姨捨山の田毎の月と夜景を楽しみにその1

  
篠ノ井線の姨捨駅は何回か通り過ぎたことはあるが、古人の堪能した姨捨山の田毎の月と夜景を楽しみにして、満月と夜景ツアーとに合わせて期日を決めて麓の戸倉上山田温泉に宿を取ってやってきたが、生憎の雨。普段の心がけが悪いのだろうか。               姨捨山への近道
 
 小布施から長野電鉄で長野へ、そこから篠ノ井線経由のしなの鉄道軽井沢行きにのって戸倉まで。   この夜の宿「亀屋本店」従業員の誰もが暖かい対応と、細かな神経の行き届いた設備などに感服した。
 
 小雨のそぼ降る千曲川。周囲の山々は雲の中。姨捨山もすっかりと雲の中。    「千曲川」 津村信夫 「その橋はまことながかりきと 旅終りては人にも告げむ 雨ながら我が見しものは ……」
 「戸倉上山田温泉は、昔から多くの文人墨客が訪れ、歌を詠み、幾多の作品を生み出した文芸の里。万葉公園は万葉橋のたもと、千曲川に沿って広がる公園。古く万葉の時代から現代に至るまでの信濃を歌いあげた27の歌碑が建っています。」とパンフにあるので、朝の散歩で小雨の中を訪ねていった。そのうち、寡聞な私でもその名を知っている作者の歌碑だけ拾い上げた。  
 
 「秋風の空晴れぬれば千曲川
  白き河原に出てあそぶかな 牧水」  若山牧水
  「故さとの信濃なるかもいまぞわが
 千曲の川の長橋わたる 喜志子」  若山喜志子
 
 「更科の月みてだにもわれはただ
  都の秋の空ぞ恋しき」    宗良親王御歌
  「余年二十以後乃知匹夫有繋一國 
 三十以後乃知有繋天下……」  佐久間象山平子明
 
 「月影はあかず見るとも更科の
  山の麓になが居すな君」      紀貫之
   「あやしくも慰めかたき心かな
  姨捨山の月もみなくに」      小野小町
 
 「なかんづく鮎の尾あかし千曲川」   加舎白雄    「春雨やすこし燃えたる手提灯」    高浜虚子
 
 「姨捨などは老足むづかしく
  有合の月ですますや今日の月」   小林一茶
   「瓜食めば子ども思はゆ栗食めばまして偲ばゆ
  いずくより来たりしものぞ目かひに……」 山上憶良
 
 「岩間逃げ水ひそ/\小道 木の根草の根わけて来て
  さざめき合えば噂末ひろ千曲川」   正木不如丘
   「秋風は立ちにけらしな佐良志奈や
  姨捨山の夕月の空」         賀茂真淵
 
 「上山田
 朝雲雀千曲の瀬音空打てる」      臼田亜浪
   千曲川。山口洋子詩 猪俣公章曲 五木ひろし歌
「水の流れに花びらを そっと浮かべて泣いたひと……」
 後醍醐天皇の皇子信濃宮宗良親王は、南北朝の戦いの中で伊那谷を30年も拠点にして、南朝の勢力拡大を図っていた。佐良志奈(さらしな)神社もその拠点でもあり、「正平年中には宮の御所であった」と伝えられるそうだ。
宗良親王の「李花集」の次の歌などは、ここで詠まれたものかもしれない。
 佐良科の里にすみ侍りしかは月いとおもしろくて秋ことにおもひやられしことなど思ひ出られけれは
 諸共にをはすて山をこえぬとは都にかたれさらしなの月
 
佐良志奈(さらしな)神社。千曲河畔に位置する。御祭神
譽田別尊 など。
   「逆修塚」生前に自分たちの墓として立てたもの。宮に従って戦陣に従った人々が建てたと伝えられる由。
 
 山を背にして、蓮池を前にした禅宗の古刹大雲寺。    長野の自然100選の庭園を瞥見と思ったが季節外れ。
  「戸倉上山田温泉」とはなんだかおかしな名だと思っていたら、これは「戸倉」と「上山田」の別々の温泉だったそうだ。隣接こそしているが、更級郡戸倉村と埴科郡上山田村の温泉の二つだったが、今はともに千曲市。と宿の人が教えてくれてはじめて納得。地元の年配の人は今でも区別しているとのこと。 私が泊まったのは上山田温泉。

姨捨山へ       INDEX

inserted by FC2 system