奥のほそ道結びの地 大垣を訪ねる
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初めて訪ねた大垣は、人口16万の岐阜県第二の都市。 駅前から伸びる広い通りは街路樹に覆われ、歩道の路端には様々な草花が植えられて、しっとりした感じだ。 |
市内を屈曲して通じる水門川の両岸は、遊歩道の「四季の道」として整備されて、「ミニ奥の細道」として22の句碑が並んでいる。無料のレンタサイクルで水門川を辿る。 | ||
「閑さや岩にしみ入蝉の声」 (立石寺) | 「暑き日を海に入たる最上川」 (酒田) | ||
「荒海や佐渡によこたふ天河」 (出雲崎) | 「一家に遊女も寝たり萩と月」 (市振) | ||
「石山の石より白し秋の風」 (那谷寺) | 「さびしさやすまに勝ちたる濱の秋」 (色の浜) | ||
「折ゝに伊吹をみては冬こもり はせを」 八幡神社 傍らに「大垣の湧水」の井戸があり、「おいしいかな」 |
大垣は地下水の自噴帯に位置していて、良質で豊富な地下水に恵まれ「水都」と呼ばれているそうだ。 | ||
「ふらすとも竹植る日はみのと笠 はせを」 馬場町 |
木因何某院居をとふ 隠家や菊と月とに田三反 はせを」 船町港跡 |
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住吉橋。おくのほそ道結びの地の水門川の船町港跡に架かる。 | 「い勢にまかりけるひとの送りけれは 蛤のふたみに別行秋そ はせを」 船町港跡 |
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「惜むひげ剃りたり窓に夏木立 白桜下木因」 船町港 | 「南いせくわなへ十りざいがうみち」 木因俳句道標 | ||
旅立つ芭蕉像。 船町港跡 | 芭蕉と見送る木因像。 この二人の距離は | ||
水門川。桜の頃に、たらい舟で川下りができるとか。水質保全に様々な取り組みがされているそうだが……。 | 船町港跡から住吉橋を望む。「昭和初期には年間約1万もの船が行き来していた」そうだ。 | ||
住吉神社。海上交通安全の神様。船町港河畔に立つ。 | 「霧晴れぬ暫く岸に立給へ 如行」 船町港跡 | ||
住吉燈台。高さ約8mあり、岐阜県指定史跡。元禄年間頃に船町港の標識と夜間の目印として建てられた。 船町港は、江戸から明治にかけて大垣城下と伊勢を結ぶ運河「水門川」の河港。 |
秋の暮れ行く先々は苫屋哉 木因 秋に寝ようか萩に寝ようか 芭蕉 霧晴れぬ暫く岸に立給へ 如行 蛤のふたみに別行く秋ぞ 芭蕉 |
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おくのほそ道結びの地の住吉公園一体は、「飛騨・美濃さくら三十三選の地」で、春の桜に秋の紅葉が美しい由。 | 道標。「左 江戸道」「右 京みち」。美濃路沿いにあったものの レプリカ。 | ||
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冷水山正覚寺本堂。 | 本堂前の墓地。大垣の俳人の句碑も並んでいる。 | ||
「 芭蕉翁」。左右に「元禄七戌年」「十月十二日」 あか/\と日はつれなくも秌のかぜ はせを翁』 |
木因墓。木因は船問屋を業とする富裕な商人。芭蕉を伊勢に運んだのも木因の舟だって。 | ||
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大垣城旧柳口門。 | 艮隅櫓。天守閣は覆いがされて工事中。 | ||
柳口門から城内を見る。 | 戸田氏鉄騎馬像。18年にわたり藩政の基礎を築いた。 |