駿府城址  ちょっと静岡へ1    

駿府城は駿府を支配していた今川氏滅亡の後、徳川家康の隠居城として整備築城。「5層7階の天守が金色に輝き、御殿も贅を尽くし、華美を極めた」ものだったそうである。家康は晩年の10年をここで過ごし、いわゆる大御所として政治の実権を握り幕政の基礎を築く。のちに紀伊へ移る徳川頼宣、家康の没後、乱心を理由に高崎に蟄居の末自刃した家康の孫忠長、江戸開城後の徳川慶喜も一時期この城の主となる。
 
遺構として 今も残る中堀と県庁などが並ぶ二の丸の石垣。   「わさび漬け発祥の地」200余年前、駿府のわさび商人によって考案されたそうだ。
 
巽櫓(たつみやぐら)。城の東南角(辰巳の方角)に設けられた隅櫓。
青空に聳える漆喰壁の櫓は、うん、いいねえ。
  八丁堀生まれの弥次郎兵衛(左)と江尻生まれ喜多八(右)。東海道中膝栗毛の作者の十返舎一九はここ駿府の生まれだったとは。
 
左から 南多門櫓、一の門(櫓門)、二の門(高麗門)、東御門橋を見る。    東御門橋。主に重臣たちの出入り口。狭閒を備えている。
東御門と巽櫓は平成になってから、寛永年間当時の姿を目指して伝統的な木造工法で復元した。
東御門は高麗門、櫓門、多門櫓で構成される実践的枡形門。巽櫓は三層二重の例の少ないL型の望楼、武器庫などの役目を担っていた。 今は城の歴史や構造などを示す資料館。  
 
資料館に入ると、衣冠束帯のご高齢の家康公がお出迎え。     一の門から二の門を見下ろす。
 
 丸東御門の雄鯱。高さ 約1.4m重さ約500kgの青銅製、東御門前の堀底から発見された。   木の香が今も漂うような木造の真新しい巽櫓の内部。ここで出会った見学者は二人だけ。
紅葉山庭園。駿河の国の名勝を織り込んだ 四つの庭を中心とした回遊式庭園。里の庭、海の庭、山里の庭、山の庭とあるそうだが、どこがどこだかわからない。
 
城ヶ島、石廊崎などを表す 海の庭らしい。   左上隅の茶畠に囲まれた小山は富士山! 
 
茶室・静月庵 。抹茶を注文できるとか。    ここは山の庭。二条二段の瀧が流れる。
 
 里の庭であろう。四阿周辺には梅林なども。
この日はまるまる庭園を貸し切り。
   家康公お手植えのミカン。紀州の献上の鉢植えを植えたホンミカン。県指定天然記念物。
 
左手に鷹をとめた家康像。本丸跡に建つ。    発掘された中堀の一部。
 
木陰には人がちらほら。   この広場は??

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