三保の松原 ちょっと静岡へ4

日暮れが近くなり、日本平から急いで降りて、この日の宿の前を素通りして、三保の松原に直行した。明日の天気はよくないというので、国の名勝となっている三保の松原の富士の姿を望みたいと思ったからだ。ここは駿河湾に突き出た7kmほどの砂嘴で、内側に淸水港を抱え、外側に白砂と松林が伸びており、羽衣伝説の地、歌枕の地でもある国指定名勝の三保の松原が位置する。
「白いはまべの松原に 波がよせたりかえしたり」(林柳波)
「あれ天人は羽衣の舞を舞い舞い帰り行く天の羽衣ひらひらと天女の舞の美しさ」(葛原しげる)
 小学校で学んだ「羽衣」の歌はどちらかと思うが、歌はどちらも歌えるのが不思議。
 
 白竜像。『…これ只事と思はぬところに、これなる松に美しき衣掛かれり、寄りて見れば色香妙にして常の衣にあらず…』  謡曲「羽衣」    「新日本三景之碑」 1915年、実業之日本社が全国に投票を求めて、大分県の耶馬溪、北海道の大沼とともに選定する。
 
 「羽衣の松」(第一代)樹齢600余年の黒松.。    羽衣の松(第二代)。平成22年世代交代する。
 
漁師の白龍は、松に掛かった美しい衣を見つけ、国の宝にするため持ち帰ろうとした白龍に、天女が現れて、羽衣を返して欲しいと頼む。はじめ返そうとしなかったが、それがないと天に帰れないと悲しむ天女の姿に心を動かされ、天女の舞を見せてもらう代わりに、衣を返す。その舞が後に東遊の駿河舞として受け継がれた。(謡曲羽衣のあらすじ)
子供の頃聞いた昔話では、漁師と結婚した気がする。琵琶湖など各地にいろいろな羽衣伝説が伝えられているようだ。
 
 
 能楽「羽衣」に魅せられ舞踏化したフランスのバレリーナ、エレーヌ・ジュグラリスは1951年、あこがれの松原を見ないままパリで没した。碑は「私の髪をぜひ羽衣の松の近くに埋めてほしい」という遺言どおり遺髪を埋めて建てられた。   三保の浦 / 波渡る風 / 語るなり
パリにて「羽衣」に / いのちささげし
わが妻のこと / 風きけば / わが日々の
すぎさりゆくも / 心やすけし 
             マルセル ジュグラリス
 
 「羽車神社』羽車は祭神の乗り物。御穂神社の祭神大国主命と三穂津姫命が出雲から羽衣の松をたより降臨、羽車神社を経て鎮座した由。    佐賀の虹ノ松原、敦賀の気比の松原とともに日本三大松原とされる。5万4千本の松も、数年前から松枯れが問題となって老木には手当を。
 
名勝鎌ヶ崎。石塊混じりの砂浜の遠くにはテトラポット。「日本の白砂青松百選」も保全が大変。    方角を見定めてズームアップをしたのですが、うっすらと富士山が見えませんか?
 
一夜の宿「潮騒」客室20、家族計経営で親切の宿。お薦めできます。ただエレベーターはなし。    夕食。海の幸がいっぱい。おいしかった!
ご飯は一口だけでも、とても食べきれない。
 
 美穂神社の祭神は大己命(大国主命)三穂津姫命。「羽衣の舞」という巫女舞が伝えられる。    御穂神社拝殿。なんとここには、羽衣の切れ端が保管されているって。白龍がちぎった!
 
 朝もなほ羽衣に似る雨降りて
  桜の濡るる三保の松原  与謝野晶子
                    美穂神社境内
  「神の道」 御穂神社から羽衣の松までの祭神の通り道。松の老木を両側に500m程続く木道。以前は石畳だったと、散歩中のご婦人が教える。
 
「天女の池」大国主命が降臨後、ここで旅塵をながした。また、天下った天女が水遊びをした池。    三保の松原の夜明け。漁に出て行く小舟も浮かぶ。富士はもっと左方か。
 
風早之三穂之浦廻乎榜舟之船人動浪立良下
三保を詠んだ歌などが数多く掲示されてた。
   朝の散歩で松原の遊歩道を歩いていて見かけた草花。多分コヨイマチグサ 。 
朝の散歩の途中で出会う人々は誰でも、この見知らぬ旅人にも挨拶をしてくれる。あれこれと問いかけると、これも親切に教えてくれたのは嬉しい旅の思い出となった。  

駿府城址 丸子宿 久能山 淸水の三寺  清見寺  由比  INDEX

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