修善寺を歩く(西伊豆のたび2)
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源頼家墓。前面は「征夷大将軍左源頼家尊霊」と刻む江戸期に建てられた供養塔、墓はその背後にちょっと覗く二基の小さな五輪塔の由。 | 桂谷眺望 谷川や 月の運びも 九折 かな垣魯文 |
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かつら 上樣お風呂を召さるゝ折から、鎌倉勢が不意の夜討……。味方は小人數、必死にたゝかふ。女でこそあれこの桂も、御奉公はじめの御奉公納めに、この |
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指月殿。この地で非業の死を遂げた頼家の冥福を祈り、母北条政子が建立。伊豆半島最古の建築 「指月」とは経文を意味し、数千巻の経文を寄進。 | 本尊の釈迦如来座像。鎌倉時代作の寄木造で高さ2m余。持ち物のないはずの釈迦像が右手に蓮の花を持っているのが特徴。 | ||||
源頼家家臣 十三士の墓。頼家が暗殺された6日後、頼家の家臣らが謀反を企てたが、挙兵前に発覚して殺された。その家臣達の墓と伝う。元は200m離れた処だったが台風の被害で、頼家の近くに移転。 | |||||
獅子にまたがる源義経像。鹿山の山道を登った木立の中に 。なぜこの地なのか。大正末期建造。 | 「おしゃぶり婆さん像」子育ての神様だって。 所々に「桂谷八十八ヶ所」の石仏が建っている。 |
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この夜の宿は桂川グループ「花小道」 | 宿の部屋から見下ろす薄暮の独鈷の湯。 | ||||
桂川の畔の「赤蛙公園」。昭和19年、島木健作が病気療養のため修善寺を訪れたとき、桂川の中州から向こう岸に渡ろうとする1匹の赤蛙が目に止まり、これを題材とした有名な短編「赤蛙」が生れた。流れに翻弄される赤蛙に病身の自分を重ねたとも言われる。蛍の名所でもあるそうだ。 | |||||
…或る日私は桂川の流れに沿つて上つて行つた。…ぼんやり見てゐた私はその時、その中洲の上にふと一つの生き物を発見した。はじめは土塊だとさへ思はなかつたのだが、のろのろとそれが動きだしたので、気がついたのである。気をとめて見るとそれは赤蛙だつた。…秋の陽に背なかを干してゐたのかも知れない。しかし背なかは水に濡れてゐるやうで、その赤褐色はかなりあざやかだつた。それが重さうに尻をあげて、ゆつくりゆつくり向うの流れの方に歩いて行くのだつた。赤蛙は洲の岸まで来た。彼はそこでとまつた。一休止したと思ふと、彼はざんぶとばかり、その浅いが速い流れのなかに飛びこんだ。…(島木健作 赤蛙) | |||||
温泉街の中心部を流れる桂川に沿う遊歩道。とっこの湯から続く小径を歩いていくと、茶処や昔懐かしい火の見櫓が散策する人々の目を楽しませ、竹林の中央では大きな竹製の円形ベンチで風を感じることがことが出来る。平成9年度都市景観最優秀賞受賞・ミシュラン2つ星認定。 | |||||
早朝の散歩で赤蛙公園から独鈷公園まで歩いた。風もなく葉擦れの音もない、行き交う人もないただ桂川の静かな川音だけが聞こえた。都市景観最優秀賞受賞・ミシュラン2つ星の評価は妥当だ。 花壇の草取りのご婦人に会ったが、多分ご近所の方だろう、景観を愛する人々が守っているのだろう。 |
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桂川。紅葉の季節には、さぞ美しい景観を見せてくれるのだろう。そんな季節に再訪したいものだ。 | 桂橋。願いを懸けながら桂川の橋を渡ると恋が成就するという言い伝えがあるそうだ。 | ||||
足湯「河原湯」。桂川のせせらぎを聴きながら、散策途中の一休み…。【 泉質】アルカリ性単純温泉 向かいの建物は昨夜の宿。早朝からこの湯を利用している人の姿が見えた。 |
独鈷(とっこ)の湯。行脚中の弘法大師が、桂川で病父を洗う少年を見て心うたれ独鈷杵で川の岩を打ち霊湯を湧出させ、父子に温泉療法を伝授したという。修善寺温泉発祥の湯。入浴は出来ない。 | ||||
虎渓橋から桂川、独鈷の湯を望む。 | 独鈷公園に桜が咲いていた。十月桜、冬桜?? | ||||
独鈷公園の「弘法の湯」飲用可.。傍らの説明板には温泉の分析表も掲示してあった。 | 湯掛け稚児大師。願いを込めて湯を掛けてやると願いが叶えられるよし。中央に石造独鈷杵。 |