大和路桜探訪3
花の御寺 長谷寺を彩る桜
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天の香具山を横目に、橿原からほぼ東の桜井市に向かう。 | 混雑が予想される門前町を避けて、大回りの山あい道を通る。人家もあまりない細い道だが、おかげで早く着いた。 | ||
山門への東参道を登ると、咲きそろった桜のアーチでお出迎え。 | 高浜虚子句碑 「花の寺 末寺一念 三千寺 」虚子 |
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仁王門(総門)。両脇に仁王像、楼上に十六羅漢を安置する。「長谷寺」の大額の文字は、後陽成天皇の御宸筆。 | 登廊(のぼりろう)。108間、399段、折れ曲がり上中下の三廊に分かれている。長谷型の灯籠も見える。国の重文。 | ||
登廊の左右に歓喜院、梅心院……と別院が並ぶ。 この前庭には牡丹が蕾をもち、その先にしだれ桜が |
登廊をやっと半分ほど登って振り返る。桜の先に長く続く登廊の屋根が | ||
紀貫之 故里の梅 「人はいさ心も知らず故里は花ぞ昔の香ににほひける」 (百人一首) |
貫之が久しぶりに長谷寺に参詣に来ると、馴染みの家の主人が、「ちゃんと宿はあるのに」と皮肉ったので、この梅の花を折って左の歌を詠んだという。 | ||
小林一茶句碑 「此裡に春をむかひて 我もけさ清僧の部也梅の花 一茶」 |
登廊はまだまだ続く。段差は小さく登りやすいけれど、一休みして振り返る。 | ||
現在の「本堂」は、1650年に徳川家光の寄進。東大寺大仏殿に次ぐ最大級の木造建造物で、間口柱間9間、奥行5間の正堂、9間・4間の礼堂の南に更に5間・3間の外舞台がある独特の建物。 | 本尊は「十一面観世音菩薩」。身の丈は3丈3尺6寸(約10m)光背が4丈4尺(約12m)の我が国最大の木造仏。国重文。 平城京遷都1300年祭協賛の特別開帳で、1000円で本尊の足に触れてお参りできるとあったが、信仰には金も必要だ。 | ||
初瀬山の中腹にへばり付くように建つ外舞台からの眺望。満山桜花爛漫かな。仁王門や本坊などが見える。 | 本長谷寺。「…686年道明上人ここに精舎を建立、千佛多宝塔銅盤を鋳造して祀る。これより長谷寺の草創なる」 | ||
本長谷寺を建立時、三重塔が建立されるが、落雷で焼失。1954年、五重塔を建立。芭蕉が楽しんだ桜があるとか? 「初瀬 春の夜や籠人ゆかし堂の隅」 (芭蕉 笈の小文) |
約150種7000株の牡丹を始め、山茶花、」福寿草、梅、椿、桜、石楠花……紅葉に到るまで、四季折々の花が境内を彩る「花の御寺」 | ||
東参道も桜で彩る。長谷寺の参道は、仁王門の右からの東参道と左の西参道、そして仁王門をくぐって登廊を登る三つある。この東参道はもっとも古い参道だとか。 | 二本(ふたもと)の杉。「…さてはこれなるが二本の杉にて候ひけるかや、古き歌に、二本の杉の立ち所を尋ねずは、古川のべに君を見ましやとは……」(謡曲玉葛) | ||
旅の計画にあった目当ての「しだれ桜」を見落としてしまった。樹齢100年を超える大木のしだれ桜があるそうだが、仁王門の前方の道路沿いにあったようで、東参道の行き来で、出会わずじまい。 特別開帳の期間のためか、遍路姿をした信徒の集団が次々と参詣に来ていた。平安の昔も21世紀の今日も女性の参拝が多いようで、観音様の霊験に期待するわけだ。 |