大和路桜探訪4
    宇陀の又兵衛桜~大野寺糸枝垂れ桜~室生寺へ

長谷寺からほぼ南、10kmほど車は進む。 「宇陀一帯は阿騎野と呼ばれ、柿本人麿が軽皇子の伴をして阿騎野に狩りし、泊まった翌朝に「ひむがしの野にかぎろひの立つみえてかえりみすれば月かたぶきぬ」とここで詠んだ。それで丘陵には人麿の万葉歌碑が立てられており、毎年12月にはかぎろいを見る会が行われる。」などと、ガイドが説明する。

尋ねる又兵衛桜の又兵衛とは、勇猛で知られた戦国武将の後藤基次のことで、通称が又兵衛。黒田孝高・黒田長政に仕えたのち、豊臣秀頼に仕え、大阪夏の陣で撃たれ歩行不能となった為、自刃したという。これが定説のようだが、この戦役を生き延びて大和国宇陀に逃れ、隠遁生活の後に一生を終えたとか、近くの秋山城の織田信長の次男信雄に仕えていたとか、或いは坊さんになってこにいたとか、どれが真偽かわからぬが、まあこの静かな里に隠遁生活を送らせてやりたいものだ。そうでないと、「又兵衛桜」でなくなってしまう。
 
この一帯は低い丘陵にはさまれた静かな山村という趣だ。田仕事にはまだ間があるようだ。    整備された川の護岸を辿っていく。あの先にぽつんと見えるのが「孤高のしだれ桜」右手にはなにやら施設もできた。
 
 又兵衛桜。樹齢300年とも言われる桜の古木。本郷の瀧桜とも呼ばれる。   2000年のNHK大河ドラマ「葵徳川三代」のオープニング画面で使用されたので、一躍有名になった。
 
 樹高13m、幹周り3m余のしだれ桜。石垣の真上に立つようで、倒伏や根の張りようが気がかりだが。   石垣の上の高台。つまりここが又兵衛の屋敷址というわけだ。桃の花がまだ咲いていた。 
 
 たった一本の桜だけれど、多くの観光客がこの山村に押しかけてくる。通路を整備し駐車場を設け、即席の土産屋も。    静かな山村も、この時期だけは大賑わい。シャトルバスも運行。又兵衛さん死して村興しに尽力す。
 
 本郷から30分ほど走ると宇陀市の室生区大野にある大野寺にたどり着く。宇田川の流れに沿った山間の小寺。

681年役行者が開き、824年、弘法大師が室生寺を開創のとき、室生寺に四囲から入る道=大門を定めたが、西の大門として一宇を建て、弥勒菩薩を安置し、地名を名付けて大野寺と称した、と寺伝は語る。ちなみに東の大門が長楽寺、南は佛隆寺、北が丈六寺で、それぞれ峻険な山を越え、谷を渉って奥深い室生寺へと辿ったそうだ。
 
 大野寺山門から隣接の庭園を見る。ここも桜や雪柳や草花が花盛り。    樹齢300年の小糸しだれ桜。もう一本同じ樹齢300年の小糸しだれ桜があるというが?
 
 狭い境内にはカメラマンがひしめき合うひとときもあった。でも参拝者は見かけない。私も写真だけの不心得者。    樹齢100年の紅しだれ桜30本もあるそうだが。これはその一本かな。
 
 本堂。本尊の弥勒菩薩と開山の役行者が安置されている。    糸しだれ桜を花の下から振り仰いでみた。
 
 鎌倉の初期、1207年興福寺の雅縁大僧正の発願、後鳥羽上皇の発願により対岸の岩に弥勒磨崖佛が造立された。   高さ33mほどの弥勒巌に、仏身の高さ蓮座ともに11.5mの弥勒佛。寺のしおりには「弥勒大石佛別当大野寺」とある。 

 室生寺に向かう。昔のように山川を跋渉しなくても、室生川添いを10分ほど車で溯ると辿り着く。ここは室生の里、周囲を山に囲まれたこの里を見下ろす山腹に女人高野 室生寺が建つ。

室生寺は奈良時代の末期に皇太子山部親王(後の桓武天皇)の病気平癒祈願をこの地で行って平癒したことから、勅命で国家のために創建されたそうだ。高野山と異なり女性の参詣を許したので「女人高野」というが、長谷寺に参詣した紫式部や清少納言などは参詣しなかったようだ。山を越え谷を渉っての参詣では女人の足では怯んだのだろう。
 
 
 バスがやっと通れるような狭い小さな門前町を通り過ぎる。    店と旅館の間に見える太鼓橋のそばで、山菜料理で昼食。
 
 室生川に架かる朱塗りの太鼓橋の向こうは表門。   重層檜皮葺の仁王門。昭和40年の再建。
 
金堂へ続く 鎧坂。段差の小さな石段が鎧に似ている?
何段あるのか知らぬが、蹴上げ幅は小さいが結構堪える。程なく境内の石楠花が咲き競い杜鵑の声が響く季節が来る
   金堂。国宝。平安初期の寄棟造柿葺き。内陣に本尊の釈迦如来立像(国宝)、十一面観音菩薩像(国宝)など諸像が並ぶ。
 
 弥勒堂。鎌倉時代、重文。柿葺き入母屋造。本尊は厨子入り弥勒菩薩立像(重文)。国宝の釈迦如来坐像も安置する。   灌頂堂(本堂)。鎌倉時代、国宝。室生山最大の建築。如意輪観音坐像(重文)が本尊。真言宗の三根本道場の一つ。
 
 北畠親房之墓。標柱の肩に小さな字で「伝」とあるのが正直でいいではないか。   五重塔。平安初期、国宝。室生山中最古の建築。大風で損傷したが平成12年に修復、落慶。 
 
 「弘法大師一夜造りの塔」とも言われ、総高16.1mと日本最小の五重塔。「女性的で可憐な姿が印象に残る」とか?     五重塔相輪。普通は水煙だが宝瓶を載せ宝鐸を吊った天蓋であるなど他に類がない。
 
  室生山は杉の巨木が立ち並ぶ。この先に弘法大師の像を安置する御影堂(鎌倉時代、重文)があるそうだが、そこまで辿る時間も覚悟もない。    見下ろした本堂の檜皮葺の屋根。檜皮なのに桜の下に光沢を見せて美しく光っている。この寺の堂塔はどれも檜皮葺かこけら葺き。威圧感など感じないのが好きだ。
 
下山して太鼓橋から振り返り、花盛りの桜の古木と室生川を眺める。これで今回の旅も終わりとなる。    平城京遷都1300年の幟。奈良県全域に「せんと君」がいるみたいだ。こんな山奥だってけなげにはためいていた。
 
 帰途はここから三重県名張に出て、そこから近鉄特急で名古屋へ、新幹線で一路東京都へ。一日は雨振りとなったが、各地で丁度見頃の見事な桜に出会い、古い歴史にも触れて心に残る旅となった。そしてよく歩いた旅、6日は19176歩、7日が22818歩、8日は18089歩。歩き馴れた人には何でもない数値だろうが、私には「大健闘」だった。
 
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