岡倉天心ゆかりの地 五浦(いづら) 

平潟から五浦へ。断崖が続き複雑な海岸線を形成、地名の通り五つの浦岬が連なり、「関東の松島」とも呼ばれる景勝地。日本の渚百選、日本の音風景100選、日本の白砂青松100選に選ばれる。
..ここには茨城県天心五浦記念館、日本美術院が置かれ、天心邸があった茨城大学五浦美術研究所など、岡倉天心、横山大観、菱田春草、下村観山、木村武山ゆかりの地。
 
長浜から坂道を上ると、巨大な石の石垣の上に桜の咲く高台が見えてくる。その上に美術館 。   曲がりくねった道を辿ると、海が広がる。あそこは小名浜? 火力発電所がうっすらと。滄海広場
 
仰天自有初 観物竟無吾  
星気揺秋剣 氷心裂玉壺  天心生   滄海広場
  岡倉天心と五浦ゆかりの作家たちの作品や遺品から業績を紹介するほかに所蔵品展も開催。
予備知識なしに足を踏み入れたら、「出かけよう、日本画世界紀行」という企画展の開催中。若手の日本画家を中心に、海外に出かけて描き上げた日本画。審美眼のないものには、違和感だけが??  
 
 黄門の井戸。美術館から数百m。道の傍らに。
黄門が領内巡視の際、古井戸に杖が当たると…
  茨大美術文化研究所長屋門。(登録有形文化財)
100年あまり前の姿で天心の頃と同じ受付に。
 
  天心記念室。左 平櫛田中作「天心像」右も竿と網を持つ天心。自分の船を建造して釣りを楽しんだ。
 
ウォルナー像。天心の薫陶を受け日本美術を研究奈良・京都を爆撃リスト都市から外しで守る。     天心碑「亜細亜ハ一なり」それぞれ個性を持つ国々が「アジア」という概念を支えることを示す由。
 
 天心邸。前庭の芝生はボストンから取り寄せた。明治40年頃の姿を復元。画幅や壺、火鉢、ランプ… 
 
六角堂観瀾亭。杜甫の草堂の構造、屋根の如意宝珠は仏堂、内部の床の間と炉は茶室、中国、インド、日本の伝統思想が一つの建物に表現されてる由。大震災の津浪で流失、創建当時の姿に再建。  
 
岡倉天心の墓。  辞世とされる「我逝かば花な手向けそ浜千鳥 呼びかう声を印にて 落ち葉に深く埋めてよ 12万年明月の夜 弔い来ん人を松の影」およびAn InjunctionAn(戒告)と題した英詩にもりこまれた遺志に沿い、没年の大正12年(1913)染井霊園の墓から分骨埋葬。 右に平櫛田中の手植えの椿。
 
五浦温泉 五浦観光ホテル別館大観荘。収容400名。美術研究所の隣地の海岸に建つ。今宵のお宿。
 
 遠慮めさるな浮世の影を花と夢みし人もある                  岡倉天心 大観荘玄関前    菱田春草画伯屋敷跡
                    大観荘玄関前
 
 旧横山大観邸   
 大観荘特別室として利用  客室から見下ろす。
  誰かつくやら夜明けの鐘は粹はつかない野暮かつく  野口雨           旧横山大観邸前
 
10階から遠く五浦岬を、右下に小さく六角堂を見下ろす。 食べきれぬ海の幸と、天然温泉の湯と、見飽き足らぬ景観、温かいおもてなしに満足。玄関前の天心の碑についてご存じないフロントはちょっと…。 
 
五浦岬の日の出。この日の日の出は4時54分。    展望慰霊塔。高さ16m。全国震災犠牲者の慰霊。 
 
 日本美術院研究所。映画「天心」のセット。   大観、春草、武山、観山の制作姿の像が並ぶ。
 
大津灯台。地上~頂部16m、水面~灯火56m。光達距離37km。震災被災で建替えて太陽光発電に。
 
本館の露天風呂でお花見の贅沢。     木村武山邸。純和風庭園の先に。
本館の風呂も利用できると聞いて300m離れた本館へ行った。1万坪の庭園に数寄屋造りの和風の宿。
  潮騒と鶯の鳴く音をあとに、五浦から磯原へ、そしてひたちなかへ向かう。 

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